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演奏家からの声

【小林武史】TAKESHI KOBAYASHI

1931年生まれ。
10歳から鈴木鎮一氏に師事。1949年、第18回日本音楽コンクールにて第1位を獲得し、1951年にデビュー。24歳で東京交響楽団のコンサートマスターに就任。その後、チェコ国立ブルノ・フィルをはじめ、数々の楽団にてコンサートマスターを歴任。
1971年からはソリストに専念。毎年、海外への演奏旅行が続いている。北米、南米、ヨーロッパから、中近東、旧ソ連、アジアなどまで、世界各国で活躍。多くの賞を受賞。また、世界的に有名な音楽祭にも招待され出演。国際交流基金派遣の文化使としての派遣は10回にも及んでいる。
桐朋学園大学、東京日本大学にて講師を歴任。宮城県中新田バッハホール音楽院院長、室内合奏団「コレギウム・ムジクム東京」主宰など、幅広く活躍している。

「耿さんのこと」
「耿 暁鋼」彼の本名である。中国語の発音は難しい。彼の名刺には、カタカナでガン ショウガンとルビがふってある。このまま読んだら中国人には通じないと思う。また日本語読みだと、コウ ショウコウになる。私は、発音は正しくないかも知れないが、唯ガンさんと呼んでいる。
私がガルネリ・デル・ジェスを入手したのは随分昔のことであった。1742年の作で、素晴らしい楽器ではあったが、4本の弦を完全に平均して鳴らすことには多少の努力が必要であった。演奏旅行のとき、アメリカやウィーン、ドイツなどの楽器屋で私の楽器を見せると「自分は最高の調整師である」と自慢して、魂柱や駒を動かして見せるのだが余り良くなったことはなかった。
耿さんは、中国でバイオリン製作に携わってから、1988年に来日した人で、世界中の楽器屋さんで解決できなかった私のガルネリの調整をお願いすることにした。
耿さんは約20年、私の楽器の主治医として拘っていただいた。御蔭様で現在、世界の名器の一つとして輝くようになった。残念なことに、私の手から離れて他家に嫁入りしてしまった。
しかし目下、耿暁鋼作の名器が二丁、私の所にある。数多くの友人知人が、耿さんの楽器を使用している。私の主治医が中国に帰ってしまうのではないかと心配している今日この頃である。

小林武史

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